当寺では著名な作家による作品が数多く飾られています。
ここではその各作家の方々のご紹介を致します。
詩人 坂村真民氏
プロフィール

地球の平安と人類の幸福を祈る96才の詩人
分かりやすくて、深く掘り下げられた詩は、幼稚園児から政財界人まで、年令、職業を問わず幅広く愛唱され、その生き方とあわせて、「人生の師」と仰ぐ人が多い。
1909(明治42)年1月6日、熊本生まれ、今年、満96才を迎える。8才の時、小学校の校長をしていた父親の急逝により、どん底の生活に落ちるが、5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難に立ち向かう中で、甘えを許さぬ一徹さを身につける。昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25才の時、朝鮮にて教職につき、36才、全州師範学校勤務中に終戦となる。昭和21年から愛媛県において高校の国語教師を勤め、65才で退職。以後、詩作に専念する。自分を作り上げるため、若くして短歌を志し、28才の時「与謝野寛評伝」を著す。四国移住後40才で詩に転じ、翌年、個人詩誌「ペルソナ」を創刊。昭和28年(44才)、杉村春苔尼先生との邂逅が大回心となり、仏教精神を基調とした清澄な詩境に入る。昭和37年、月刊詩誌「詩国」(しこく)を発刊。以来1回も休むことなく、一遍上人の賦算を受け継ぎ、毎月1200部の無償配布を続けて来たが、平成16年2月、「詩国」第500号をもって発行を打ち切る。以後は、詩誌を「鳩寿」(きゅうじゅ)と改題して、自分を見つめ直す詩を作っている。また、詩の愛好者達によって建てられる「念ずれば花ひらく」などの真民詩碑は、日本全域47都道府県に分布。その数は、海外の35基と合わせて、現在、730基を超える。真民さんは、大宇宙の大和楽を念願して、96才の今も、毎日午前0時前に起床、未明混沌の霊気の中で打坐し、念仏し、称名し、詩作する。午前3時36分には、月の光、星星の光を吸飲し。庭の朴の木に額をつけ、地球の平安と人類の幸福を祈願している。1980年正力松太郎賞、1989年愛媛県教育文化賞、1991年仏教伝道文化賞、1999年愛媛県功労賞、2003年熊本県近代文化功労者賞の各賞を受賞。主な著作は、詩集「自選坂村真民詩集」、「坂村真民全詩集」(全7巻)、随筆集「念ずれば花ひらく」、英文対訳詩集「鳥は飛ばねばならぬ」、独文対訳詩集「タンポポ」、詩集「二度とない人生だから」、「宇宙のまなざし」、「花ひらく心ひらく道ひらく」、詩墨集「遊筆遊心」、「念に生きる」など多数。

坂村真民公式HP
http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/
二十番真民碑
昭和53年より真民先生と文通させていただき、56年7月に茜地蔵を境内に建立させていただきました。「美しい美しいお地蔵さまに」の詩碑につづいて、57年2月、第二十番「念ずれば花ひらく」碑の建立となりました。当寺のご本尊がお不動様。真民先生も酉年。住職も酉年、共にお不動様をいただく深い縁を思わずにはいられません。四国のタンポポ堂より脈々と流れてくるしんみん川の端に、二十番碑を建てることができたことに感謝しております。四月にはタンポポの花が咲き、五月には白い朴の花が薫ります。一人でも多くの方々に碑にお詣りしていただき、励ましとなり心のよりどころとなってくれるよう念じております。深い仏縁に感謝しております。
                   宝積寺住職 高梨慧雅
茜地蔵
横 浜 梅 見 頃
横浜は想像と違っていた。港が見える丘からの百萬弗の夜景は、まるで大工場の照明だった。街角を曲ると下り坂の向こうに海が見える、といった風景もない。ただ、山下公園の汐の香りと澄んだ海水に心を癒されて、明王山宝積寺へと道を急いだ。堀割川左岸を北上し、根岸橋のたもとを右折するとほどなく、こぶりながら懐かしさのあふれる山門をくぐる。境内いっぱいに、ふくいくと梅の香りがみちていた。今年は暖冬で、白梅も豊後も紅梅までが一斉に咲いてしまったのだという。ご本尊に合掌、梅見頃にお詣りできた幸運に感謝した。第二十番真民碑は本堂前の右側にたっている。幾千万年も深山に抱かれていたのではなかろうか。真民碑。木の葉からしたたり落ちる無限数の緑の滴に削られたのだろう。無数の割線が縦にはしっている。背丈二メートル、胴囲り八十センチの青い岩である。うららかな陽射の中で、柔らかい春の空に向ってすっくと立っている。「念ずれば花ひらく」八字十音の真言は、この岩を崩さないように、別の黒くかたい石に彫られ、はりつけてある。

左から碑を飾るのは、椿の常緑と赤い花の群である。右には朴の木が一本、真直に、本堂の軒の高さを越えてのびている。左右にしっかりと張った若い枝が、志を秘めた人の槍を想わせる。五月十日頃、朴は十五、六輪の花をつけ、真民碑に咲きかけるという。すべてが夢のようにひろがり、ここには伊勢佐木町や元町とは違った横浜が息づいている。千体地蔵をまつる境内には、もう一つの真民碑がたっている。参詣した人は必ず、膝を折って碑文を読み、心に写しとって帰って行く。

美しい美しいお地蔵様に
花を摘んでは
お地蔵さまに
水を汲んでは
お地蔵さまに
遊びつかれて
お地蔵さまのみ手に抱かれ
ねむっている
忘れぬわが子を思うたび
お地蔵さまの限りない御恩が
こみあげてきて
この美しい美しい
お地蔵さまに手を合わす


            「坂村真民碑紀行−角? 著」より











人形作家 森元青芳氏
青芳人形
砥部焼は350余年前朝鮮から渡来した陶工によって焼きはじめられたものです。青芳人形は、この砥部焼の伝統と技法を生かし創作した全くの手作りのもので、これは私が昭和3年3月3日年まれ故か、土を掌に載せると、自然に指先から形が生まれ出てくるもので、これも人形を作るために生を受けたような何か不思議なめぐり逢わせを感じています。真赤に燃える灼熱の窯の火が生命を吹き込み人形が誕生した瞬間たまらぬ愛しさを感じると同時に、私自身深い生きる喜びがこみあげてきます。青芳人形を通しての皆様との出会いを大切にし、自分の生涯の道として精進に励んで行きたいと念じています。 合掌




画家 吉永邦治氏
プロフィール
1944年、鹿児島県川内市生まれ桑沢デザイン研究所で学び、ドイツ遊学。その後、高野山大学に入学し、山本管教博士に、東洋美術、仏教美術などを学ぶ。高野山大学文学部仏教学科卒業。絵画は、山口長男に師事し、東洋各地の風土や人物を描き続ける。一方、「気まぐれ美術館」(新潮社)の著者である洲之内徹氏と出会い、彼の主宰する現代画廊にて、インド・シルクロード・中国、日本各地を描いた作品の個展を開き、その度に多大なる影響を受けた。過去には国面会などに出品したが、現在は国内外各地での個展に重点をおいて発表し続けている。2000年には鹿児島市立美術館より依頼を受け、20世紀回顧「鹿児島と洋画展」に出品した。2002年7月26日-9月1日の約1ヶ月間、建築家・安藤忠雄氏設計の岡山県成羽町立美術館で"シルクロードの心を描く吉永邦治展"同年lO月1日-11月1日には大谷女子大学博物館において「吉永邦治・仏の世界」が催された。また、2004年5月奄美パーク・田中一村記念美術館で"シルクロードと飛天の世界吉永邦治展"が催された。大学時代より飛天を求め、インドをはじめシルクロード各地、チベット、中国、東南アジアを旅し数えきれない程の飛天を描くとともに、研究を深め、多数の著作本が出版されている。また、シルクロードの旅や飛天についての講演が各地で催される機会も多く、平成14年1月1日には、日本経済新聞の文化欄に"初春、飛天と空へ"というタイトルで掲載された。桑沢地域賞など受賞。現在、大谷女子短期大学教授。


彫刻家 杉村孝氏
プロフィール

1937.9.26 藤枝市の石材店の三男に生まれる
1967 藤枝美術協会設立に参加
1974 静岡県芸術祭委嘱出品、二紀会同人
美術家連盟理事
1984 現代美術展 常葉美術館賞受賞(常葉美術館蔵)
1986 静岡県芸術祭 芸術祭賞受賞〈造形〉(静岡県立美術館)
1987 第6回富嶽文化賞展 大賞受賞〈彫〉(静岡県立美術館蔵)
1988 現代美術展記念展 常葉美術館賞受賞(藤枝蓮華寺公園設置)
中日展第10回記念展 CBC賞受賞(名古屋博物館)
1989.8.28 麿崖仏(不動明王座像)開眼供養(藤枝市不動峡)
1990 県内美術の現況展出品(静岡県立美術館)
1992 個展 松坂屋60周年当別企画展(静岡市)
1993 中日展 招待展出品(名古屋博物館)
1994 ウエスティンホテル石庭(東京・恵比寿)
1995 巨石の森 250tの作品ほか(岡部町)
2000 オーストラリアペンリスにて石彫途々
現 日本美術家連盟会員
当寺院内、至る所に杉村先生の作品が配置されております。
是非一度お越しになって様々な可愛らしい作品を見つけてみて下さい。
これらの画像はその一部です。